メッセージ

ブログから礼拝メッセージをご紹介します

東小金井教会 説教要旨

東小金井教会の主日礼拝で語られた説教要旨です。

「2017年2月19日」

2017/02/19

「イエス様は宝、あなたも宝」     イザヤ書33:5-6、マタイ13:44-45                         成瀬教会牧師 丹羽義正  とっても短い箇所だが、私はこの聖書の箇所が大好きだ。なぜ大好きかと言うと、自分のことがここに書いてあると思うからだ。誰でも、自分のことが書いてあると思える箇所は好きになるだろう。 ここには「 畑に隠された宝 」と「 高価な真珠...

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「2017年2月12日」

2017/02/13

「義の成るところ」          イザヤ書58:1-12、マタイ5:17-20                           関 伸子 牧師  「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」。マタイ福音書第5章の17節を言い換えたものが20節です。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義...

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「2017年2月5日」

2017/02/06

2月5日 「実を結ぶ種」         イザヤ6:6-13、マタイ13:1-23                            関 伸子 牧師   今日、私たちは、マタイによる福音書第13章の1節から23節までの長い物語を一気に読みましたけれども、一挙に分かったでしょうか。10節から17節まで、弟子たちはイエスに、こういうふうに尋ねます。「なぜ、彼らに譬えでお話しになるので...

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めぐみ教会boxy-diary 牧師の日記

東京・東大和市上北台 カンバーランド長老・ めぐみ教会牧師室より、荒瀬牧彦が発信

ホメオパシーがどう用いられるのか

2017/02/17

 久しぶりにホメオパシー関係の投稿です。  ある方から、 「こういうもの(がん患者のための合宿養生塾)があって、その中にホメオパシーが組み込まれているようですが、いかがなものでしょう?」 というメールを頂きました。  合宿の日程をみてみると、多くのプログラムの中であまり目立たないようにではありますが、「ホメパシー問診」というのが1~3日に行われるようです。他のホメオパシー団体...

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あれれれ・・・

2017/02/13

あれれれ、なんでだろう。2月12日のエントリーがなぜか二重に投稿されていました。ご指摘くださったGさん、ありがとうございます。 今、神学校の研究室においてある古いパソコンで慌ててなおしました。 (ホメオパシーに関して気になっていること、今週中に投稿しようと思っています。) 今日の午後は懲りずにまた「牧師サッカー部」の活動に参加して球蹴りをしてから、神学校にやってきました。今日は神学校...

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聖書会は今週(2月15日)に行います

2017/02/12

「聖書会」は、通常、月の第2と第4の水曜午前に行っていますが、2月は第4水曜(22日)を一週間繰り上げ、第3水曜(15日)に行います。 普段は、詩編と新約(マタイ福音書)を交互に学んでいますが、15日はそのどちらでもなく、3月3日「世界祈祷日」の聖書箇所の予習(?)を行います。 世界祈祷日の式文を用います。 「フィリピンからのメッセージ わたしはあなたに不当なことをしている...

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説教要約 – 田園教会

相模原市にあるキリスト教会のホームページです

207.02.19説教「祈れない者のためにイエスは」

2017/02/19
旧約聖書 サムエル記上 12章20~25節 新約聖書 マルコ福音書 14章32~42節 主イエスは、大きな不安 […][続きを見る]

2017.02.12説教「あなたがたより先にイエスは」

2017/02/12
旧約聖書 ゼカリヤ書 13章 1~ 9節 新約聖書 マルコ福音書 14章27~31節 主イエスは、ユダが裏切る […][続きを見る]

2017.02.05説教「多くの人のためにイエスは」

2017/02/05
旧約聖書 出エジプト記 24章 1~ 8節 新約聖書 マルコ福音書 14章22~26節 主イエスは、過越祭の食 […][続きを見る]

聖書が伝える福音のメッセージ

さがみ野教会の礼拝説教や祈祷会の聖書の学びなどを掲載します。 さがみ野教会のホームページはhttp://sagamino.orgです。こちらもぜひご訪問ください。

詩編第50編「神が望まれる献げ物とは」

2017/01/05
神への献げ物とは一体何か。私たちは神の腹を満たすために形ばかりの献げ物をするのではない。神への感謝を献げる。それどころか、神は私たちが苦難の日にご自分を呼ぶことをも待ち、それをも神への献げ物として受け入れてくださる。罪の告白もまた、礼拝の儀式的行為として形ばかり行うのではなく、神無しには救われようがない自分をわきまえ、神を求めることを望んでおられる。神は私たちが自分の心を献げるのを待っておられる。
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ルカによる福音書第2章21節 「主イエスこそあなたの救い!」

2017/01/01
2017年が始まって私たちが一緒になって最初に耳にした御言葉は、今日の招きの言葉である「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」です。神は新しいことを行ってくださいます。私たちのところでも!それをワクワクしながら待ち望みましょう。ですから、どうか、例えばこのようなことはおっしゃらないでください。自分はもう年をとっていて、新しいことなど始まりようがない、と。私たちは生まれたときから神に負われてきました。態を出たときから担われてきて、これからも、老いる日、白髪になるまで神が背負ってくださいます。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得」るのです。しかし、興味深いことに神は「遠い昔の日々を思い起こし、代々の年を顧みよ(申命記32:7)」とも言われます。これは昔を思い出して懐かしめ、という意味ではありません。日本語では過去のことを「以前」と言って「前」という字を使います。実は聖書の民ユダヤ人が使っていたヘブル語にも同じような表現があります。私たちの目の前に広がるのは以前のことです。それに対して将来、以後のことは後にあります。私たちの目ではそれは見えません。昔の日々を思い起こすとは、神がしてくださったことを思い出せ、ということです。神が2016年もあなたを生かしてくださった。それどころか、生まれる前から背負い続けてくださってきた。だから、目に見えない以後の事柄については神に安心して任せよ、ということです。ですから、私たちは神を待ち望み、安心して、今すべきことに全力を傾けましょう。今私たちがするべきこと、それは、私たちが共に生きる隣人に、ひたすら福音を語り続けることです。使徒言行録4:12にこのような言葉があります。「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」これは、足の不自由な人をペトロとヨハネがイエス・キリストの名によっていやしたときの出来事です。彼をいやして福音を宣べ伝えたためにペトロとヨハネは捕らえられて取り調べを受けました。福音を語ると、反対もあることでしょう。しかし私たちが救われるべき名は、この名の他にはないのです。イエス・キリストの名にこそ、神の愛と私たちへの救いのメッセージが込められています。今日の福音書はルカ2:21です。「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」クリスマスの八日目、つまり11日ですが、この日に生まれたばかりの男の子にイエスという名前がつけられました。この名は天使に示された名だと書いてあります。つまり、神がイエスという名前をおつけになった、ということでしょう。名前には願いが込められています。私も二人の子どもに願いを込めて名前をつけました。イエスというお名前に神が込めた願い、それは何か?このイエスという名が父ヨセフに示されたとき「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と天使に言われました。神は私たちが罪から救われることを願って、その子にイエスという名をおつけになりました。イエスとは「主は救い」という意味です。あなたを罪から救うためにイエスが来られた。この名にある救いを信じてください。
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詩編第49編「あなたを救うのは、神か富か?」

2016/12/29
神の祝福とは一体何なのかを問われる詩編だ。時折この世の成功に類する出来事を得たときに神の祝福を口にする。それはそうかも知れないが、「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず」と肝に銘じたい。むしろ、「財宝を頼みとし、富の力を頼る者を」恐れるのを止めようと言う。魂を贖う値は富よりも遙かに高いからだ。「人間は栄華のうちにとどまることはできない。」ただ神だけが私を救ってくださる。生活の中の本音として信じよう。
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