メッセージ

ブログから礼拝メッセージをご紹介します

東小金井教会 説教要旨

東小金井教会の主日礼拝で語られた説教要旨です。

「2017 年3月26日」

2017/03/27

「輝く神の子の姿」         イザヤ30:8-22、マタイ17:1-13                           関 伸子 牧師   主イエスはペトロとヤコブ、それからヨハネという三人の弟子と共に、高い山に登られました。この三人の弟子は、この後も、ゲッセマネで主イエスが、祈りをなさる時にも選ばれていきました。  高い山の上で、三人の弟子たちの目の前で主イエスの姿が...

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「2017年2月19日」

2017/03/20

「罪と死に勝つところ」       出エジプト19:1-6、マタイ16:13-20                            関 伸子 牧師   マタイによる福音書は、ここから新しい部分に入ります。これまでの箇所は、ガリラヤから出発した主イエスの宣教活動がどんどん広がっていったことを記していました。人々の病を癒し、パンと魚の奇跡で多くの人々に食事をお与えになりました。この...

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「PR: 犯罪被害を受ける可能性は、誰にでもあります-政府広報」

1970/01/01
もし犯罪被害に遭ってしまったら?周りはどう向き合えば?支援のための取組はこちら
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めぐみ教会boxy-diary 牧師の日記

東京・東大和市上北台 カンバーランド長老・ めぐみ教会牧師室より、荒瀬牧彦が発信

十字架を見つめよう

2017/03/16

昨日は久しぶりに「賛美歌工房」に出席することができました。しばらく、都合がつかずに顔を出すことができませんでした。 「工房に行く時は必ず作品持参」と自らに言い聞かせているので、2作品を持参しました。まだ完成ではなく、少しばかり手をいれなければいけないので、それはまたいずれ発表させていただくとして、ここでは、昨日持っていかなかった歌詞を載せようと思います。 本当は3月5日の神学校卒業式...

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季刊『めぐみフォーラム』お読みください!

2017/03/04

先週木曜に、めぐみ教会伝道誌『めぐみフォーラム』130号(2017年春)ができました。 胞子の会というのがあって――茸の会ではなく奉仕をする会です――その会に集う方々が印刷や郵送の作業をしてくれるのです。 教会に通っている方々には明日、週報と共に配布されます。 いつも温かいコメントを下さる読者Hさんより、ラインで「PDF版がホームページにアップロードされてませんよ!」というメッセー...

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説教要旨「心から従ってこそ」

2017/02/28

2017年2月12日 めぐみ教会礼拝説教 「心から従ってこそ」 荒瀬牧彦牧師 マタイによる福音書5章17-20節  「イエスは掟破りだ!神聖なる律法を公然と無視するような者は断じて許せない!」律法学者やファリサイ派の人たちは激しく怒った。しかし本当に「イエスは律法を踏みにじった」のか? イエスは言われた。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止する...

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説教要約 – 田園教会

相模原市にあるキリスト教会のホームページです

2017.03.26奨励 「他人を救ったのに、自分は救えない」 宮城 献 中会神学生

2017/03/27
旧約聖書 詩編 22編 7~ 9節 新約聖書 マルコ福音書 15章21~32節 私たち弱き人間は、力強い指導者 […][続きを見る]

2017.03.19説教「人類を救う真(まこと)の王はイエス」

2017/03/19
旧約聖書 エレミヤ書 33章12~16節 新約聖書 マルコ福音書 15章 1~20節 マタイ福音書2章1、2節 […][続きを見る]

2017.03.12説教「鶏が鳴くとイエスは」

2017/03/12
旧約聖書 エレミヤ書  5章20~25節 新約聖書 マルコ福音書 14章66~72節 ペトロは、捕らえられた主 […][続きを見る]

聖書が伝える福音のメッセージ

さがみ野教会の礼拝説教や祈祷会の聖書の学びなどを掲載します。 さがみ野教会のホームページはhttp://sagamino.orgです。こちらもぜひご訪問ください。

詩編第50編「神が望まれる献げ物とは」

2017/01/05
神への献げ物とは一体何か。私たちは神の腹を満たすために形ばかりの献げ物をするのではない。神への感謝を献げる。それどころか、神は私たちが苦難の日にご自分を呼ぶことをも待ち、それをも神への献げ物として受け入れてくださる。罪の告白もまた、礼拝の儀式的行為として形ばかり行うのではなく、神無しには救われようがない自分をわきまえ、神を求めることを望んでおられる。神は私たちが自分の心を献げるのを待っておられる。
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ルカによる福音書第2章21節 「主イエスこそあなたの救い!」

2017/01/01
2017年が始まって私たちが一緒になって最初に耳にした御言葉は、今日の招きの言葉である「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」です。神は新しいことを行ってくださいます。私たちのところでも!それをワクワクしながら待ち望みましょう。ですから、どうか、例えばこのようなことはおっしゃらないでください。自分はもう年をとっていて、新しいことなど始まりようがない、と。私たちは生まれたときから神に負われてきました。態を出たときから担われてきて、これからも、老いる日、白髪になるまで神が背負ってくださいます。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得」るのです。しかし、興味深いことに神は「遠い昔の日々を思い起こし、代々の年を顧みよ(申命記32:7)」とも言われます。これは昔を思い出して懐かしめ、という意味ではありません。日本語では過去のことを「以前」と言って「前」という字を使います。実は聖書の民ユダヤ人が使っていたヘブル語にも同じような表現があります。私たちの目の前に広がるのは以前のことです。それに対して将来、以後のことは後にあります。私たちの目ではそれは見えません。昔の日々を思い起こすとは、神がしてくださったことを思い出せ、ということです。神が2016年もあなたを生かしてくださった。それどころか、生まれる前から背負い続けてくださってきた。だから、目に見えない以後の事柄については神に安心して任せよ、ということです。ですから、私たちは神を待ち望み、安心して、今すべきことに全力を傾けましょう。今私たちがするべきこと、それは、私たちが共に生きる隣人に、ひたすら福音を語り続けることです。使徒言行録4:12にこのような言葉があります。「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」これは、足の不自由な人をペトロとヨハネがイエス・キリストの名によっていやしたときの出来事です。彼をいやして福音を宣べ伝えたためにペトロとヨハネは捕らえられて取り調べを受けました。福音を語ると、反対もあることでしょう。しかし私たちが救われるべき名は、この名の他にはないのです。イエス・キリストの名にこそ、神の愛と私たちへの救いのメッセージが込められています。今日の福音書はルカ2:21です。「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」クリスマスの八日目、つまり11日ですが、この日に生まれたばかりの男の子にイエスという名前がつけられました。この名は天使に示された名だと書いてあります。つまり、神がイエスという名前をおつけになった、ということでしょう。名前には願いが込められています。私も二人の子どもに願いを込めて名前をつけました。イエスというお名前に神が込めた願い、それは何か?このイエスという名が父ヨセフに示されたとき「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と天使に言われました。神は私たちが罪から救われることを願って、その子にイエスという名をおつけになりました。イエスとは「主は救い」という意味です。あなたを罪から救うためにイエスが来られた。この名にある救いを信じてください。
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詩編第49編「あなたを救うのは、神か富か?」

2016/12/29
神の祝福とは一体何なのかを問われる詩編だ。時折この世の成功に類する出来事を得たときに神の祝福を口にする。それはそうかも知れないが、「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず」と肝に銘じたい。むしろ、「財宝を頼みとし、富の力を頼る者を」恐れるのを止めようと言う。魂を贖う値は富よりも遙かに高いからだ。「人間は栄華のうちにとどまることはできない。」ただ神だけが私を救ってくださる。生活の中の本音として信じよう。
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